「日中友好交流の会」の成り立ち

1961年(昭和36年)に旧軍人の一部により創立された「日中友好元軍人の会」は当時の友好団体のひとつでありこれが、我が「日中友好交流の会」の前身です。

 1972年(昭和47年)ニクソン大統領訪中、田中首相による日中国交正常化により、中国の国際化への動きが加速しました。この年、周恩来首相の意向で、1974年(昭和49年)以降毎年、会員の訪中団を受け入れて頂くことになり、現在まで我が会にも引き継がれております。当時の中国側窓口は中日友好協会(会長廖承志先生)でした。

 

1978年(昭和53年)日中友好条約が締結され四つの近代化路線が打ち出され改革開放への大転換が開始されました。 中国側でも1984年(昭和59年)中日友好協会から「中国国際友好連絡会」が独立しました。この略称「友連会」が現在の我が会の中国側窓口です。(友連会については別項で説明してあります。)

1980年(昭和55年)から中日友好協会職員を留学生として受け入れる事業を始め、1986年(昭和61年)中断まで11名を受入ました。このときの留学生は駐日大使館へ外交官として赴任されたり、友好団体の幹部として活躍されています。

1987年(昭和62年)「元軍人の会」の路線が幅広い大衆運動に不向きなのを憂いた有志が従来とは一線を画し、一般市民を中心に、思想、信条、宗教等に一切こだわらずに、人と人との関係を大事にした開かれた組織を作って、将来の更なる友好を目指していこうとして、分離独立したのが我が「日中友好交流の会」です。当初は60名で発足しましたが現在は会員数260名余、全国に飯田、湖東、びわこ、中条、九州、熊本、埼玉と7支部を持つにいたりました。会長以下、幹事26名を中心に全員ボランティアで各種の活動を行っております。

 そして中断していた留学生の受け入れ事業を復活、別項「会の活動について」にあるとおり1990年から現在まで12名を受け入れております。